2 常識を知らない交野左絵

歯医者で歯石を取ってもらった後に、助手とおぼしき人が交代して歯を磨くのだと言った。
ことばに遠慮がなく、動きには無駄があった。
よもや、と思わないでもなかったが、思ったことが形になることはわかってきていたので、あわてて打ち消した。
しかし案の定それは起こった。
彼女は使った器具(たぶんミラー)を、あおむけの私の胸の上に置いたのだ。
荷物をぽいと投げ置くようなぞんざいさで。
これまでの自分であれば確実に、ちょっとありえないでしょう、とクレームの一つも言っていた。
40代も後半の、世間からすれば良識ある大人であるところの自分には、人の胸の上に物を置くと言う発想がない。
いや、そんな前提がなくたって、「常識的に」ありえないではないか。

でもちょっとまてよ、とブレーキをかける声がどこからともなく聞こえた。
そもそも常識って、なんなのだ。
現代日本の、比較的多数がそう言っていたとしても、それが常識だなんて誰が決めたのだ。
世界は広い。
その広い世界のちっぽけな国の一部の人だけが信じているものなんて、ローカルルールに過ぎないではないか。

私たちは、そうしたどこの誰が言ったかわからないことを頑なに信じて来たふしがある。
そうしてそんな神話が、どうやら終りに近づいていることを、口にはしなくても感じ始めている。

なるほど、48歳は現代日本においてはすでに老境に片足を突っ込んだ、いい大人である。
しかし地球の歴史からしてみたら、まだまだ赤子にすぎない。
宇宙の歴史からしたら、存在すらも危ぶまれる者に、常識を語るのは早すぎるかも知れない。

2021.12.26 交野左絵

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